2009年6月30日火曜日

日本から


  二人修士の学生を連れてきた。ワークショップの成果を本にするのだが、その編集を手伝ってもらうために。よく働いています。三人のうちの二人です。

修了書


 参加者たちに終了証を出す必要がある。そこにサインをする。それが、まあ、ないとはいえ、ぼくの仕事のひとつだ。けっこう大変だけど、ね。

カエルスピーチ


 ウェルカムパーティで、mAANを代表してご挨拶。長い挨拶を聞くのも、みなさん疲れるので、カエルに変身した。

力持ち


 ぼくがここにいてあまり役にたたない。ユニットマスターができるわけでもなく。ただ、力だけはある、かも。重い鉄のチューブ(なんというんだろう?)を持ち上げてみた。でもやっぱり役に立つわけではない。

ユニットマスター(2)


 ツトさんは、シンガポール大学の建築学科で教えている。上海の時も参加してくれた。今回は、学生なしで、単身で、パダンにきてくれた。

ユニットマスター(1)


 ユニットは、全部で7つ。マスターは、インドチームが2つ。シンガポール/日本がひとつ。韓国が、ひとつ、あと3つがインドネシアの建築家。インドからは、モリーさまご一行。デリーの建築と都市大学から。学生も二人。

パダンセメント工場







 1910年にオランダ人によって設立されたパダンセメント工場は、来年で100年を迎える。その最初期のものを保存し、再生しようというのがmAANの企画だ。上海のワークショップのウェブを見た、セメント会社の広報顧問のアンドレ氏からの要請で始まった。実際来て見ると、それはすごい規模だ。

この雰囲気




 朽ち果ててはいるけれど、大きな空間。そこでおこなわれるざわざわしたワークショップ。工場を再生して、東南アジア一の工業遺産博物館にするという夢に向かっている。湿気、暑さ、埃。そんなものが好きだ。

2009年6月29日月曜日

登昆艶氏


 会場についたら、ちょうど、上海の建築家登氏が講演を始めていた。ワークショップの参加者は、80人。インドネシア、インド、マレーシア、韓国、日本。5年前の上海ワークショップを思い出す。

padang


インドネシアのスマトラ島のインド洋側にあるパダンという小さな町で、6月28日から開催されるmAANのワークショップに出かけた。ジャカルタで一泊して、パダンに飛んだ。空港を出たら、歓迎の大きな幕が掲げられていた。

2009年6月26日金曜日

新しい名刺


 金沢の中山ゲロ子さんが、とてもすてきな名刺をデザインしてくれた。地球環境防衛軍のオフィシャルカラー、緑を基調に、むらまつ博士の絵も入れてくれた。表裏カラーで、100枚、1200円。安い。デザイン料は、安くはないが、お買い得です。みなさん、ご注文のあるかたは、私まで。

風にも負けず


 風洞からの風は、すごい。そんな強風にも、負けず、そんなひとに、私はなりたい。

風洞


 中には巨大な風洞がある。もとは、航空研究所だったらしく、ここでゼロ戦の風洞実験をしたとか。木製の風洞は、実に巨大だ。

生研探検


 生研の建物の古いのは、1930年くらいに建てられた。その中には、まだまだ、いいものがある。内田祥三設計の表現主義が基調だ。今回は、生研一号館の見学をした。

アカンサス


 一号館の前の植物を指して、石川先生に何かを聞かれた。植物にも、疎いので答えられなかった。実に、ギリシアのオーダーに使われるアカンサスでした。建築学科の前に生えている訳だ。無知をさらけ出してしまった。とほほほほ。

石川先生さまご一行


 スタジオの成績をつけて、一号館から出てきたら、都市工学科の石川先生が、3年生をつれて、キャンパス内の樹木の見学をしていた。初夏のいい天気で、気持ちよさそうだった。

オタクたち


 伊藤くんのは、オタクの殿堂だった。よく最後までがんばったが、設計の質を上げてほしい。他の学生たちも最後までがんばった。打ち上げにまたあいましょう。

タウンプランナーズ


 嬉野さんは、ゲームを作った。タウンプランナーズというゲームで、盤、カードなど、とてもきれいだ。面白いかどうかは別物だが。

一番は、


 でも、一番は、修士の篠原くんでした。よくがんばって、才能もある。この才能を伸ばしていってください。東京オリンピックが開催されない場合の東京湾をどのように変えていくかが、スタジオの課題で、篠原くんはとても美しく解いています。

2009年6月25日木曜日

設計スタジオ、推薦きまる


 4月から始まった、修士と学部4年生の設計スタジオの作品が出揃った。むらまつ・のぐちスタジオの推薦は、「夢の夢の島」の李さんに決まった。図面の密度をあと数日で高めて、2次の発表に挑んでください。

2009年6月14日日曜日

本能寺のカエル


 アパートに帰る途中に本能寺があったので、カエルの香炉を見たいと思った。が、時間もないので、入り口にあった絵葉書でがまんした。信長が殺される前に、危険を察知して、鳴いたとか。いいカエルだ。欲しいなあ。今度ゆっくり見に行こう。

無隣庵




 近代美術館に行ったついでに、近くにある山形有朋の別荘、無隣庵にいった。1894年から6年にかけて小川治兵衛によってつくられた。水と樹木に満ちて、遠くに東山が見える。ただ、石の置き方があまりよくないのではないかなあ。

水と山の都




 京都の好さのひとつは、水と山が近いことだろう。いっぽう、同様に川と緑に恵まれていた東京で、川はなぜ、ふたをされてしまったのだろうか。ふたをはがす運動をしようか、と思い始めた。

京都モダニズム







 京都国立近代美術館でやっている「前衛都市モダニズムの京都展」を朝見に行った。1895年の第4回内国勧業博覧会から始まる京都の街とアートをビジュアルに展示していて面白かった。美術館は平安神宮の近くにあり、伊東忠太の描いた平安神宮の図面があって初めて見た。美術館は槇さんの作品だが、あまりすきではなかった。

2009年6月13日土曜日

スタートレック


 ずっと観たかった、スタートレックを新京極に行ったついでに見ることにした。テレビ用の「エンタープライズ」が終わってしまったので、久しぶりに、スタートレックの世界に堪能した。ひとりでいると寂しいが、仕事はやはり進むし、京都だとすぐ近くに映画館があってちょっとだけいいこともある。

新京極


 疲れていたのと仕事を集中してやりたかったので、土曜日も京都にいた。着るものがなくなったので、昼飯を食べた後、ユニクロを探しに、新京極に行った。人の多いこと。あまり寄り付きたくない場所だった。

しかたがない!


 ロシア語でもしかたがない、という言い方があるそうだ。大きな権力の力には逆らえないというあきらめの気持ちがこもっている。中国だと、没弁法。今日49歳の誕生日のボブロフ氏(右)とメキシコ生まれのロシア人、マイケル氏(左)が、3次会の京都駅の中のバーで、勇んでテキーラを注文したものの、来たのはテキーラサンライズだったという光景。「しかたがない!」という顔つき。この後、ぼくと林君は、4次会に行きました。

人生の不思議


 国際シンポジウムでモスクワからお呼びしたマイケル(ちょっと違ったような)さんと研究室のアンナさんが、京都と奈良に来ていたので、林さんと一緒に京都駅で夕飯を食べた。そしたら、また別のロシア人が出てきた。京大でロシア古代文学を教えるボブロフ教授、国際交流基金の招きで聖ペテルスブルクから来ている??さん。京都にこんなに多くのロシア人がいる。けっこう不思議な感じ。ひとりに出会うと、すぐ大勢に会う。

2009年6月12日金曜日

エスキス


 六角さんのエスキスは、すばらしかった。3月まで芸大の美術学部長で、5月からは、北京でも建築教育に携わっている。なにより感銘したのは、学生たちの設定をすばやく読めることであった。

2009年6月11日木曜日

すもう


 設計スタジオのゲスト批評家、六角鬼丈さんにご自宅で、エスキスをしてもらいに、行った。途中に相撲をとっている像があったので、つられて相撲をとった。遷都くんの製作者の作品なのだそうだ。

国際シンポジウムの風景3

国際シンポジウムの風景2

国際シンポジウムの風景1

 

さまざまな参加者たち




 寝ているひともいた。眼を剥いているひともいた。参加の仕方は様々。

親子2代


 韓国、成均館大学教授の尹仁石教授は、お父さん、一柱先生の時代から生研とは縁がある。後ろにいるのは、今回、縁の下の力持ちのひとり、三村さん。眠っているわけではない。

お祝い




 シンポジウム後のパーティで、3人にお祝いをした。藤森先生は、退任、張復合先生は、還暦、そして、西澤さんは、建築学会論文賞受賞でした。

中韓露からの参加者たち







 私たちの関心、そして、ネットワークは、中国、韓国を越え、ロシアまで到達した。インド、アフリカにまではまだであるが。写真は、中国の包慕萍さん、ハバロフスクのクラディンさん、そして、ソウルのアンチャンモさん。

中国近代建築調査20周年


 くしくも、今年は、ぼくたちが清華大学と共同でおこなった中国16都市の近代建築調査の20周年だった。この20年で、この学問領域がいかに進化したか、当時は誰も想像はできなかった。ちなみに、天安門事件から20周年。ぼくたちが調査した建築も多く壊されてしまった。藤森先生が基調講演をおこなった。

国際シンポジウム

 6月3、4日は、生研で、国際シンポジウムを主催した。東アジアの都市環境文化資源をいかに継承するか?というタイトルで、中国、韓国、台湾、ロシアなどから13人、国内からのゲストも交えて、報告議論した。

人口縮減?


 生研公開に、卒業生たちが子供同伴できた。みんな、こどもができていい顔になった。よかったね。

ぼくらは街の探検大賞


 どのチームもがんばっていた。ただ、街の絆を結びなさいという、田口隊長のチームが秀逸だった。審査員の満場一致で、2009年度、ぼくらは街の探検大賞にきまった。

2009年6月7日日曜日

ぼくらは街の探検隊発表会


 生研公開のもうひとつは、4月中旬から行ってきた、渋谷区上原小学校との都市環境リテラシイの教育プログラムの最終発表会。大きな講堂に100人くらいが集まった。

生研公開


 5月28、29、30日は、キャンパス公開だった。藤森・村松研究室は、「藤森・村松研究室の20年-アジアの都市環境を文化資源化する」でした。パネルを作って、ピロティで展示した。